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今年はニューヨーク市の財政危機の急性期から50年が経過し、その始まりは1975年2月にさかのぼります。

その際、州が支援する住宅公社のデフォルトが、ニューヨーク市に貸し出しを行っていた銀行に不安をもたらし、同市の財務状況に対する厳しい監視が始まりました。

1975年4月、銀行は市の慢性的な赤字をカバーするための信用供与を停止しました。

その結果、1975年6月には州による市の財務管理が行われ、12月には州の救済プランに対する連邦の保証が得られました。

この財政危機は、銀行の責任や市の過剰借入れ、続く改革の影響について、今もなおイデオロギーや実務的な議論を引き起こしています。

私たち二人は、最近『ドロップ・デッド・シティ』というこの危機に関する新しいドキュメンタリーを鑑賞しました。

映画のタイトルは、1975年10月に当時の大統領ジェラルド・フォードがニューヨーク救済を拒否した際の有名なデイリー・ニュースの見出しから引用されています。

ドキュメンタリーは、1975年における重要な人物やユニオンリーダー、金融業者たちのインタビューを交えながら、当時のアーカイブ映像を取り入れ、緊迫した瞬間を描き出しています。

私が1975年の出来事をどう認識していたのか、また『ドロップ・デッド・シティ』への初見についてお話ししたいと思います。

当時、私はヴィラノバ大学でジュニア年を終えようとしていて、危機が顕在化した春に差し掛かりました。

それから数か月後には、あの有名な「ドロップ・デッド」という見出しが発表されたころには、既にセニア年を迎えていました。

1975年春には、南ベトナムの崩壊という重大な出来事もありましたが、ニューヨーク市の財政的な問題は、私たちの地域でも大きな注目を集めていました。

『ドロップ・デッド・シティ』は、その年の出来事に焦点を絞った点が秀逸であり、1975年の流れを理解するには絶好の切り口となっています。

また、ドキュメンタリーには、当時のニューヨーカーたちの日常生活が描かれており、彼らの不安と興奮が交錯する様子が伺えます。

特に、19357年から1980年にかけての激動の時代と重なることから、多くの人々が当時の事情を共感を持って振り返ります。

映画中では、リーダーたちの怒りや、ストライキでゴミが街に積み上がる様子が描かれていますが、これは同時に視聴者にとって興味深いものでありました。

しかし、ストライキの影響から来た情景が、当時のニューヨーク全体を代表するものではないことも指摘されるべきです。

私が『ドロップ・デッド・シティ』から得た印象と、私の財政政策に関する研究との重なりを踏まえながら、考察を深める必要があると思います。

この映画は、誰もがうまく結びつかない多面的な状況を描写し、精緻にインタビューやアーカイブ映像が織り込まれています。

だからこそ、視覚的にも内容的にも楽しめるものでした。

また、この映画に登場するディック・ラビッチのインタビューは、彼の生涯における重要な場面を鮮やかに映し出しており、見逃せない印象を残します。

今の時代に生きる私たちにとって、どのようにこの過去の出来事から教訓を得ることができるのか、さらに深く考えてみたいと思います。

『ドロップ・デッド・シティ』は、私たちがこれから直面する課題の根源にも触れており、進んでいくべき方向性を示唆しています。

ニューヨーク市の現在の財政構造や将来の見通し、さらには過去の教訓が、今の私たちにどのように響くのか...この考察を進めていきます。

現在、ニューヨーク市は多くの財政的な挑戦に直面しています。

新型コロナウイルスの影響で、市の収入は急激に減少し、多額の負債が生じる可能性を凌駕していましたが、しっかりした改革と管理が必要です。

歴史が私たちに語ること、それが次の世代のための指針となることを信じています。

画像の出所:city-journal