『正義は行われるだけでなく、見られなければならない』。これはナチス政権の指導者たちが敵として銃殺されるのではなく、その悪行のために公に裁判を受けることが重要である理由を示しています。
映画『ニュルンベルク』は、1945年の国際軍事法廷の初回公判を再現したものであり、作家・監督のジェームズ・バンダービルトによるソビアであり、また思慮深い作品です。
アメリカの軍事心理学者ダグラス・ケリー(ラミ・マレック)は、22人の被告の中から様々な階級のナチスを研究する機会を持っています。奴隷労働を統括していたロバート・レイ(トム・キューン)や、ヒトラーの後継者であるカール・デーニッツ提督(ピーター・ヨルダン)、そして広報担当のユリウス・シュトライヒャー(ディーター・リーゼル)など、忌まわしい犯罪者たちが揃っています。
しかし、ケリーの最大のターゲットはハインリッヒ・ヒムラー(ラッセル・クロウ)であり、彼はヒトラーのナンバー2であり、戦争のエースであり、家庭人でもあります。ケリーは彼が国家の最悪の犯罪に関与していたことを証明しなければなりません。このプロセスは一見単純ですが、クロウが演じるヒムラーは非常に知的で、自己防衛が巧みであり、自らを愛国者として描写します。
バンダービルトの脚本は、サイコパス狩りのジャンルに触れながら進行します。この視点が持つ重要性は、ジャック・エルハイの著書『ナチスと精神科医』との関連からも明らかです。
物語は二つの戦いを描きます。ケリーがヒムラーと対峙する一方で、アメリカ合衆国最高裁判所のロバート・H・ジャクソン判事(マイケル・シャノン)は、国際法廷の設立に向けて動き出します。もし有罪判決を得られなければ、ナチスは勝利してしまうという、極めて高い stakes が示されています。
ジャクソンは、公正な裁判がどうしても必要であることを理解しており、もし裁判が見かけ上のショー裁判を思わせるものであれば、ナチスは殉教者として賛美されることになります。
物語のスケールは非常に大きく、1本の映画に収めるのは難しいため、スタンリー・クレイマーの1961年の映画『ニュルンベルク裁判』同様、バンダービルトの脚本は構成を簡素化しています。特にケリーとヒムラーの格闘や、ジャクソンが直面する地政学的な課題が強調されています。
こうした人物描写の簡略化により、コリン・ハンクスの演じる心理学者グスターヴ・ギルバートなど、一部のキャラクターは十分に活かされていません。リチャード・E・グラントの英国検察官デイヴィッド・マクスウェル・ファイフのキャスティングも疑問視されます。彼が持つ才能にもかかわらず、ストーリーは彼をアルコール依存者としてのみ扱い、ジャクソンのクラークにとどまってしまっています。
バンダービルトは、彼の以前の作品『ゾディアック』の複雑さを再現しようとしているように見えます。夜間の会合シーンでは、法律家と精神科医の間に、世界を変える重みが強く表れています。
『ニュルンベルク』は、ヒムラーとのセッションが進展するたびに、別の進行が妨害される作品でもあり、ジャクソンの物語はしばしば未発展のままとなっています。
最終的に、映画の真の成功は、ケリーが鍛えた手品のような手法であり、ジャクソンとヒムラーとの間のやりとりが展開される中で、ヒムラーの合理的な否認の幻想が崩れる瞬間に現れます。
公開日:11月7日
画像の出所:austinchronicle