アイルランド出身のフォークトリオAmbleは、ボストンのRoyaleでの公演で、観客を魅了し続けた。
9月5日、Mandolinを担ぎ演奏したRoss McNerneyは、今年、アイルランドよりもボストンにいる時間が長いと観客に告げた。
これは誇張かもしれないが、Ambleは今年の5月末以来、ボストンで4回目の公演を行っており、特にこの夏にはFenway ParkでHozierのオープニングアクトを2度務めている。
最近、アイルランドの音楽チャートの首位に立っているAmbleは、ボストンで第二の故郷を見つけつつあり、彼らの現地でのパフォーマンスにますます自信を持っていると感じる。
リードシンガーのRobbie Cunninghamは、観客の中の顔馴染みに指を指したり、バンドメンバーの家族がアメリカを訪れたことを言及したりしていた。
私は、5月にボストン・コーリングでAmbleを初めて見た際、Cunningham、ギタリストのOisín McCaffrey、そしてMcNerneyの3人はバックバンドなしで屋外ステージに立ち、シンプルなアコースティックセットを演奏した。
この時の観客は興味を持っていたが、フォール・アウト・ボーイやアヴリル・ラヴィーンのようなヘッドライナーを目当てに来ていたのであろう。
今回、彼らはRoyaleでの最大のヘッドライニングショーを行い、1,000人以上のキャパシティの中、観客は全員Ambleを見に集まった。
さらには、ぼくがチケットを渡したアイルランドの青年マクゴニグルも参加しており、彼はアメリカでのワークビザの期限が近づいていた。
Fenwayでのライブと同様に、バックミュージシャンが加わり、Banjoを持つMcNerneyが彼の演奏を披露しながら、観客を魅了した。
アイルランドの音楽と聞いて、親戚から「ザ・ポーグス?」と聞かれたが、今回のバンドはポーグスではない。
Ambleは、主にオリジナル曲を美しいハーモニーと共に演奏し、聴く者を惹きつける作品を提供した。
セットリストの2曲目、反省的な「Little White Chapel」の一節「なぜ歩くのか、私たちが走れるのに」で観客の合唱が始まった。
メンバーたちが共同で作詞作曲するAmbleは、アコースティック・ギターを基本に様々な楽器を用い、時にはMcNerneyがバンジョーやブズーキを操る姿も見られた。
彼らのデビューアルバム「Reverie」に収録された「Of Land and Sea」と「Tonnta」では、観客からの歓声が沸き起こった。
「One Man’s Love」の間には、McNerneyのバンジョーの快演が聴かれ、歌詞「私は別の女性に恋をした/最近、瓦礫の中を探し続けている」が力強く響いた。
Cunninghamは多くの曲を力強いテノールでリードしたが、時には楽器に焦点を当てたり、特定の曲の始まりや終わりでペースを変えることで、様々な気持ちの幅を表現した。
「Sam Hall」では、ストリングスの数が限られた、シンプルな構成の演奏が印象的で、観客を魅了した。
ファンの多くは古きアイルランドの音楽を楽しむために集まったが、Ambleはアメリカのカントリーミュージックも取り入れた。
特に、ケンタッキー出身のTyler Childersの「Jersey Giant」が聴かれた。
Ambleのカタログは少なく、数年間の活動を経ての結果だが、今月末には新しいEP「Hand Me Downs」の音源も披露された。
タイトル曲は物語を伝える力に関するオードであり、もう一曲の「Like the Piper」では、Cunninghamが「あなたの気をそらすことに驚いているのに/あなたは私に驚いていない」と歌っていた。
大きな観客がいる中でも、コンサートは親密感に満ちていた。
短い逸話や体験談が曲の合間に織り交ぜられ、彼らが約1年前に日常的な仕事を辞めてAmbleに賭けた経緯も語られた。
ハイライトは中盤に訪れ、Ambleがノスタルジックな「Schoolyard Days」と「Mary’s Pub」を連続で演奏した。
特に「Mary’s Pub」では、観客がCunninghamとともに力強く合唱し、場内は活気づいた。
アンコールの前には、観客からの「オレ、オレ、オレ」というチャントが響き渡り、Ambleを再度舞台に呼び戻して2曲演奏した後、彼らは興奮の中で去っていった。
画像の出所:theswellesleyreport