リトル東京のファーストストリートに位置するオリンピックショップは、今や地元の名所となっており、野球スター大谷翔平選手の活躍と共に多くの観光客を引き寄せている。
オリンピックショップでは、ドジャースの公式グッズやコレクションの豊富な品揃えを誇っており、地元のファンや海外からの観光客、さらにはロサンゼルス市長も訪れる人気の店舗だ。
「大谷がエンゼルスからドジャースに移籍した昨年、ドジャースのグッズを専門に扱う店舗が必要だと思ったんです。その人気は本当にすごいですから」と、オリンピックショップの創業者藤本明氏は語る。
藤本氏は、店内には約400種類のドジャースアイテムが並んでおり、そのほとんどは大谷と彼の日本人チームメイトである山本由伸投手、佐々木朗希投手に関連する商品だと推定している。
彼の娘であり、ドジャースの熱狂的なファンである瑠美さんがショップを管理しており、売上が急増しているため、商品を迅速に店舗に補充することが追いつかないと話す。
昨年のワールドシリーズ優勝に続いての勢いで、瑠美さんは勝利パレードの日に間に合うようにライセンスされたドジャースのチャンピオンシップグッズの供給元を探すのに奔走していた。
現在、オリンピックショップは活況を呈しているが、藤本氏はかつての厳しい時代を乗り越え、1995年にドジャースにピッチャーの野茂英雄が加入した時のブームを楽しんできた。
「私にとって、その状況を把握することが最も重要な資産でした」と藤本氏は述懐する。
岡山県の出身である藤本氏は、当初は日立で働いていたが、自身が大企業の中の一粒の砂に過ぎないと感じ、海外に出る決意をした。
「その頃、多くの若者が海外に行きたがっていました。私も世界を探索するために出発しましたが、最初の目的地はカリフォルニアでした。」
「移民船であるブラジル丸で来ました。乗客は約450人で、18日間かかりました。3月3日に出発し、ホノルルに到着するのに一週間かかりました。数日間ハワイに滞在し、その後、ロサンゼルスに向かいました。」
ロサンゼルスに到着した際、数人の若者がハワイで下船し、約40人がロサンゼルスで下船した。
「残りの約400人はブラジルに向かいました。」
藤本氏は、アメリカで数年間学ぶためのビザを持っており、ビジネスの機会を見つけることを決意した。
「当時、観光客を惹きつけるお土産屋が盛況で、日本からの観光客がほとんどだったので、投資ビザを申請して1975年にギフトショップをオープンしました。」
当時は、30000ドルの投資でビジネスビザが取得できたが、今ではカリフォルニア州では百万ドル、ハワイやネバダでは50万ドルに引き上げられている。
「私のタイミングは非常に良かったです。アメリカ建国200周年が約一年後に控えていました。」
日本経済の発展に伴い、多くの観光客がカリフォルニアを訪れ、リトル東京に足を運ぶ人々が増えた。
「当時、建国200周年が何であるか全く知りませんでしたが、それが私にとって大いに助けになりました」と藤本氏は認める。
その後、1984年のロサンゼルスオリンピックの開催とともに、彼のショップの命名は見事な先見の明があったかのように思えた。
彼は店舗を3軒に拡張し、ビジネスは順調に推移したが、すべての好景気は必ず後退するものであり、1990年代初頭には日本経済の崩壊による観光客の激減が続いた。
リトル東京の土産物屋が次々と閉店する中で、藤本氏は運の良さを実感した。
「たまたま運が良かったです。私の店を構えていた日本人オーナーが破産し、物件を買わないかと聞いてきたんです。」
藤本氏はそのチャンスに飛びつき、アメリカで不動産が最も安定したビジネスであると信じた。
彼は、ロサンゼルスのダウンタウンに7つのオリンピックショップを拡大した。
野茂時代は多くの観光客を引き寄せたが、オリンピックショップも、2001年9月11日のテロ攻撃後の壊滅的な影響から逃れることはできなかった。
その後も2008年のリセッションを経て、元の場所から周辺のエリソン・オニズカ・ストリートに移転して現在のファーストストリートにオープンした。
「幸運なことに、その時点では、多くの収入が不動産から来ていたので、私は大丈夫でした。」
現在75歳の藤本氏は、彼が長年亡くなった家を持つコミュニティに恩返しをすることを心がけている。
彼は南カリフォルニア日本商工会議所の副会長を務め、故郷の岡山県とつながりを持つ人々の団体である岡山県人会の会長を務めている。
2010年代に近くの寺崎武道館の計画が決まった際、藤本氏は10万ドルを寄付した。
最近では、彼は新たな情熱を見つけ、それを活かしてオリンピックショップの50周年を祝うと共に、地域に還元する方法を模索している。
8月11日、藤本氏はリトル東京のアラタニシアターで、二十数名の演歌歌手によるオールスター音楽ショーケースを開催する予定だ。
このコンサートには、彼が1978年にリトル東京のオリンピックショップを訪れた際に出会った演歌界の大スター、安倍静枝さんを含む日本人のトップ演歌歌手6名が参加する予定だ。
「47年前にこの店に来て出会ったのが彼女です。そして、彼女は今や日本歌手協会のメンバーです」と藤本氏は語る。
コンサートは、Nisei Weekの最中に行われ、午前11時から始まり、大パレードの直前に終了する予定だ。
日本歌手協会は、歌手の技術向上や、音楽文化の発展に寄与することを目的に活動しており、人気の歌を広めることを目指している。
彼は若い頃にカラオケが好きだったが、5、6年前に歌うことを再発見し、リトル東京の音楽祭などで定期的にパフォーマンスを行っている。
藤本氏と安倍さんは最近デュエットを録音し、数年間で彼は日本の歌手のための作詞家としても知られるようになった。
2022年には演歌スター喜多川裕司のヒット曲「海を渡った人生」を共作し、グループLos Indiosは昨年12月に彼の「ロサンゼルスはいかがですか」を日本の演歌チャートで1位に押し上げた。
藤本氏と安倍さんに加え、日本歌手協会の会長田辺康夫、琴乃江由美子、「雪が降る杉」の女優の工藤夕希、Los Indiosのフロントマン加島祐紀、五十田道士といったメンバーが出演予定だ。
世界一周の夢を抱きながら、結局、彼の夢はロサンゼルスからあまり進展しなかったようだ。
「若い頃にはアメリカに住むとは思ってもみませんでした。ここに来たとき、天気がとても良く、自分がストップしてしまいました。」
画像の出所:rafu