女子48kg級で2012年ロンドンオリンピック金メダリスト、8度の世界選手権王者に輝いた小原日登美(おばら ひとみ)氏が19日に亡くなった。享年44歳。
自衛隊体育学校は、彼女の死因について「遺族のプライバシーおよび感情に配慮して」公表を控えていると、読売新聞が伝えている。
小原氏は二人の小学生の母であり、日本レスリング協会の理事としても活躍していた。彼女は、2028年ロサンゼルスオリンピックに向けて女子ナショナルチームのコーチに就任したばかりであり、同じくオリンピックチャンピオンの伊調馨氏と共に指導にあたっていた。
彼女は、2004年アテネ五輪と2008年北京五輪の出場権を逃しながらも、2012年ロンドンオリンピックで金メダルを獲得し、スポーツ界の浮き沈みを体現していた。
青森県八戸市で1981年に生まれた小原氏は、中京大学(現・至学館大学)に通い、やがて世界的な強豪チームへと育て上げた。彼女は、同じく女子レスリング界のレジェンドである吉田沙保里氏や伊調馨氏と共に有名なチームでの成長を遂げた。
元至学館大学およびナショナルチームコーチの坂江和人氏は、「彼女はレスリングの天賦の才能を持つ選手であり、真摯に努力し続けた。まだ信じられない」と涙を流しながら語った。
小原氏は1999年と2000年に51kg級で世界選手権の連覇を達成する。しかし、深刻な膝の怪我により2005年まで世界選手権には出場できなかったが、その後4連覇を果たした。
2004年アテネオリンピックの出場を目指していた小原氏は、全日本選手権の決勝で吉田氏に敗れた。試合後、彼女はロッカー室の隅で数時間も泣き続けたという。
その後、2007年の世界選手権で51kg級の出場権を獲得し、5度目の金メダルを手に入れた。翌年も6度目の金メダルを獲得するが、その後は引退を決意する。
それでもオリンピックの金メダルへの未練は消えず、妹の真紀子さんの引退決断を受け、ロンドンオリンピック出場のために48kgへの減量を試みる。
小原氏は2010年に結婚し、名前を小原に改名した後、2010年と2011年に世界選手権で金メダルを獲得。
最後にロンドンオリンピックに挑戦する際、彼女は「これが最後の試合にする」と宣言していた。
ロンドンでは、準決勝で前回オリンピックチャンピオンのキャロル・フイン(カナダ)を破り、決勝ではアゼルバイジャンのマリヤ・スタドニクを下し、見事な逆転勝利を収めた。
現役引退後、小原氏は自衛隊体育学校でスタッフとして活動し、選手の指導にも従事していた。今年の世界選手権に出場する日本代表選手たちを指導していた。
「愛することを気持ちを込めてやり続け、決して諦めなければ、夢を叶えられる」と、小原氏は昨年の訪問時に生徒たちに語りかけた。
彼女の訃報は多くの人々に衝撃を与え、レスリング界の偉大な才能が失われたことを痛感させた。
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