岡山県における日本語教育に関する記事が、見当違いの内容であると感じた方がいらっしゃるようです。
筆者は岡山に1990年代から住んでおり、県内には40を超える公共のボランティア日本語教育プログラムが存在していることを知っています。
私自身、大学の仕事を通じてこの分野に深く関わっており、退職した教師や教員志望の学生、大学生など、多くのボランティアが日本語教育に携わっています。
正式な日本語学校に通う学生たちでさえ、補完的な教育を求めてボランティアの授業に参加することがあります。
筆者は岡山に滞在していたものの、きちんとした現地の調査をしなかったのではないかと推測します。
また、ボランティアの質よりも受講生の質が重要だと感じています。
私がボランティアの授業に参加した当初、学生の大半は若い英語話者の西洋人でした。
彼らは数回の授業を受けた後、遅刻や二日酔いで来ることが増え、授業以外の予習や復習をしないまま、最終的には通うのをやめてしまいました。
そのようなクラスメートの不安定さに疲れてしまい、私はプライベートの家庭教師を雇うことにしました。
おそらくこの傾向は現在も続いているのでしょう。
無料のサービスを提供してくれる人に対して、少なくとも努力を示すべきではないでしょうか?
現状として、ボランティアプログラムが抱える主な問題は、言語的多様性の欠如にあります。
数年前まで、指導材料はほとんどが英語で構成されており、多くのボランティアがこの言語を話すことができましたが、最近では中国語や韓国語も使われるようになりました。
さらに最近ではスペイン語、ポルトガル語、タガログ語、ベトナム語といった言語も見られるようになってきました。
しかし、これらの言語の知識を持つボランティアの数は非常に少ないです。
現在では、ネパール、ミャンマー、インドネシアからの新しい移民が増えており、言語の多様性はさらに広がっています。
AIなどの技術はあるものの、入手可能な教材料の正確性には依然として問題があります。
資金が限られているボランティアは、提供できることに限界があります。
もう一つの大きな問題は、出身国における生徒の教育水準です。
高等教育を受けた移民もいますが、多くは中学校程度の教育しか受けていないケースが多いです。
母国語のリテラシーが低い状況で、新しい言語を学ぶことは容易ではありません。
これは彼らの責任ではなく、あくまで環境の問題です。
岡山県は観光を促進するために、過去に外国人が安価に宿泊できる補助付きバケーションビラを数軒設けていました。
これらは関西圏の英語教師たちに人気がありました。
私自身も、その一つの海沿いにあるウシマドや、田舎にある古民家の宿に泊まりました。
当時は車を持っていなかったのですが、もしあればもっと楽しめたはずです。
ウシマドの宿は山の上にあり、日差しが差し込むと温室のようになっていましたが、非常に魅力的な場所でした。
観光に優待制度を設けておきながら、ボランティアの指導が完璧でないことを非難するのは、正直なところ残念です。
省庁の経済を支えるために移民が必要であることは間違いなく、言語教育の質の向上は重要な課題です。
しかし、ボランティアを責めることで解決を図るのは本質的に間違っています。
多くの善意のボランティアが、自分の時間を割いて日本語を教えているということを考えてほしいです。
また、現地の自治体がボランティアを活用し、質の高い教育を提供する手助けをすることも可能です。
私が岡山に来た当初、ボランティアの授業と有料の授業の両方に参加しましたが、ほとんどのボランティアは親切で時間を割いて私たち移民を助けようとしてくれる優しい人たちでした。
彼らの資源をうまく活用することで、教育者としてのスキルを高めることができれば、もっと楽しい授業が実現する可能性があります。
様々なオンラインでの自習リソースがありますので、彼らは自分たちの授業に役立つ方法を学べるでしょう。
語学学習において、道具を駆使することでより早く学習できるのです。
正しい方法で実施される全国または地域のチュータートレーニングプログラムがあれば、効果的で安価に教育が進んでいくでしょう。
ボランティアによって提供される授業の品質や学習体験を向上させるために、地域のパートナーシップが重要です。
最終的には、より多くの人が日本語を学び、地域社会に溶け込むチャンスを得ることができるでしょう。
ボランティアが自発的に行っている活動は、地域に根ざした素晴らしい試みであり、みんなが共同で学び合うことでさらなる力を発揮することができます。
画像の出所:japantoday