トヨタが新たに発表したセンチュリー・クーペは、日本製のロールス・ロイス・スペクターに似ている。一方がまだコンセプトに過ぎない中、両者はともに二ドアの超高級クーペであり、どちらのブランドも、価格を気にせず購入できる特権的な人々をターゲットとしている。
センチュリー・クーペ・コンセプトの発表を通じて、トヨタはセンチュリーという新ブランドの幕開けを飾った。センチュリーブランドの誕生は自然な流れだった。なぜなら、トヨタは既にセンチュリーSUVモデルを展開しており、オリジナルのエグゼクティブセダンに加えて、限られた数量のGRトリムも提供していたからだ。
トヨタの会長であるアキオ・トヨダ氏は、力強く感情的なスピーチを通じてセンチュリーブランドを世界に送り出し、日本全体がかつての自動車業界のリーダーという地位を取り戻すべきだと呼びかけた。このセンチュリーがブランドとしての地位を確立することにより、トヨタが提案するラグジュアリーの頂点は単なるアイデアから、他の競合と競争する市場商品へと進化した。
センダイ、日本人として自国の状況を実感している私としては、日本はしばらく厳しい状態にあると感じている。高齢化社会と急激な出生率の低下に苦しみ、過去の経済バブル崩壊から完全には回復できず、2008年のリーマンショックや2011年の大震災が重なって国の立ち位置をさらに脅かしている。2023年の初回日本モビリティショーに参加した際のワクワクするような喜びは、今夏のモビリティショーにはなかった。
アキオ・トヨダ氏は、センチュリーブランドの発表に際して、こうした現状についても言及した。彼は1963年、トヨタの初代チーフエンジニアである中村健二氏がセンチュリーの実現に向けて進んだ当時の状況を引き合いに出し、当時の評論家たちはその試みを無謀だと評したことに言及した。それでも、中村氏は努力を重ね、トヨタブランドの伝説の始まりを築いた。
アキオ・トヨダ氏は、「現在の情勢は1963年当時とそう変わらない。過去に困難だった時代を乗り越えることで、未来は明るくなる可能性がある」と述べた。
「センチュリーはトヨタ自動車株式会社内の他のブランドではなく、日本の精神、誇りを世界に発信するブランドとして育てていきたい。」
自動車産業は長らく日本経済の背骨であったが、日本がかつての経済大国としての地位を失って久しい。アキオ・トヨダ氏にとって、センチュリーは明るい未来への希望の象徴となる可能性を秘めている。「今、私たちにはセンチュリーが必要だと信じている」と述べ、彼の言葉には力強さがあった。
自動車業界は日本を終戦後の窮境から救い上げたが、その役割を再び果たすことが期待されている。トヨタはその先頭に立つ意欲を示している。
センチュリー・クーペ・コンセプトは、日本の伝統的な素材や技術を使用しており、石川県の輪島漆器や京都の西陣織のテキスタイルがシートに使われている。今後も地元の職人と密接に連携し、技術の保存を支援していく決意が感じられる。
しかし、センチュリー・クーペがトヨタ・クラウン・クロスオーバーに似ている点については、疑問の声も上がった。特にホイールアーチ周辺ではその親近感が強く、期待が少し下がるように感じられた。
「アキオ・トヨダ氏のセンチュリー発表時のメッセージは、日本の不確実な時代に対して意味深く、力強いものであった。しかし、このメッセージが実際にセンチュリーの大規模な商業化の中で生き続けることができるのか」との疑問もある。
アキオ・トヨダ氏がセンチュリーブランドの誕生に信念を持っている一方で、ブランドが存続するためには収益を上げる必要がある。センチュリーは、限られた数量が価値をもたらすラグジュアリーである一方で、トヨタはより広範な市場を目指している。
既存のセンチュリーSUVは中国で展開されており、トヨタはセンチュリーブランドが今後どのように展開していくかについてあまり詳細を開示していないが、センチュリーのラインナップの拡充や新市場への進出が期待される。さらに、展示されたいくつかのセンチュリーモデルは、今後の顧客向けにさらなるカスタマイズの選択肢を提供することを示唆している。
画像の出所:hotcars