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『古事記』と『日本書紀』は、8世紀に完成した日本の最古の文献であり、天皇家の系譜や神話、伝説を収めたものである。

これらの書物は、天皇家の神聖な血筋を神々へとまで遡ることで、統治の神権を正当化することを目的としていた。

しかし、これら二つの書はそれだけではなく、何千年もの間にわたって語り継がれてきた物語を保存し、特に日本の恐怖文学における最初の物語、黄泉の神話を含んでいる。

この神話は、現代の日本ホラーにもその影響を与えているといえる。

創世の神々、イザナミとイザナギは、『古事記』と『日本書紀』において、日本の創造者としての役割を果たしている。

イザナミは日本の島々を次々に生み出し、彼らの幸福な結婚生活は、現代ホラーにおける典型的な「ワン・モメント」としての役割を果たしている。

イザナミが火の神を出産する際に、内側から焼かれ、致命的な傷を負うことから物語は始まる。

しかし、またしても「死」は物語の終わりではない。

イザナミは黄泉の国、すなわち「肉の焼かれた獲物の国」へと降り立つ。

イザナギは妻を失い悲しみ、彼女を取り戻すために黄泉の国へと向かう。

そこで彼女は語りかける。「あなたがここへ入ることは私に畏れを抱かせ、あなたと共に帰りたいと思わせます。少しの間、この土地の霊たちと話しますので、私を見ないでいてください!」

その後の展開は、創造的な物語を学ぶ者なら誰でもわかることである。

イザナギは火を灯し、妻を見てしまう。

すると、彼女は不気味な姿へと変貌し、体中から「うねうねした虫が出入りする」恐ろしい存在となっていることに気付く。

怒ったイザナミは、イザナギに襲いかかる陰惨な魔女たちを送り込み、何とか彼は黄泉の国からの脱出に成功する。

これこそが、日本ホラーの始まりであり、黄泉の物語は、美しき神話が恐怖で覆われる瞬間を示している。

黄泉は、『古事記』と『日本書紀』の第一巻の早い段階で登場するため、日本文学が恐怖物語から始まったことがわかる。

この影響力は何世代にもわたって続き、シコメやヒサメといった地獄の魔女たちは、日本の子供たちを怖がらせるための存在となった。

また、早期の伝説は、非常に生物的な側面を含んでいることにも驚かされる。

日本の豊かな自然と山々は、神々によって天の力で創り出されたのではなく、一人の女神の身体から生み出されたものであり、その場から腐り果てていく過程をもたらしている。

興味深いことに、日本はゾンビや肉体的な怪物をそれほど恐れてはいない。

イザナミとイザナギの物語は、神々が自然の法則に従っているわけではなく、自然が神々の子供であり、神聖なものであることを示している。

そして神聖であるが故に、恐るべき存在でもある。

日本のホラーにおいて、悪意のある存在はしばしば超常的であるが、自然や元素に深く結びついている。

そのため、映画『リング』の貞子や『呪怨』の伽椰子には、水のテーマが反映されていると言える。

また、これらの霊的存在がほぼ無敵である理由は、結局、イザナミがそれを象徴しているからなのだ。

彼女の夫イザナギは逃げたものの、彼女には決して勝てなかった。

彼女は今も黄泉の底で待ち続けている、もしくは…あなたのすぐ後ろにいるかもしれない。

日本のホラー作品には、多くの恐ろしい存在がいるが、それらの多くは女性的な側面を持っている。

初期のパラノーマルな存在は男性が多かったが、次第に女性たちも恐怖の象徴として描かれるようになった。

イザナミやシコメたちから始まり、ほぼすべての有名な日本の幽霊話は女性を主役としている。

『牡丹灯籠』、『皿屋敷』、『四谷怪談』の三つの作品は、現代日本のホラーの基盤を形成している。

彼女たちはすべて、男性に裏切られ、幽霊や死者の境界を行き来する存在だ。

それぞれがグロテスクな外見を持ち、イザナミの影響を色濃く受けている。

彼女たちの物語は、千年以上の時を経ても、まだ続いている。

オツユ(『牡丹灯篭』)、オキク(『皿屋敷』)、お岩(『四谷怪談』)、貞子、伽椰子、口裂け女、トイレの花子、髪の毛吸血鬼たちは、すべて千年前の恐ろしい黄泉の物語に繋がっている。

画像の出所:tokyoweekender