2008年のこと、私は家族の古いアキュラで初めてモデスト・マウスを聴いた。
友人が彼らのディスコグラフィーから数枚のCDを焼いてくれ、そのタイトルが汚い黒のシャーピーで書かれていた。
ウィ・ワー・デッド・ビフォア・ザ・シップ・イーヴン・サンク、グッド・ニュース・フォー・ピープル・フー・ラブ・バッド・ニュース。
その年の秋、DC地区ではオレンジや赤に彩られた葉が空に映え、”Dashboard” を初めて聴いたときのことを思い出す。
音楽を初めて聴いた瞬間を鮮明に思い出すのは珍しいことだ。
通常、心に残るのは曖昧な記憶だ。
長いブランブを楽しんだり、ビーチやプールでの夏の日々、秋の草原に寝転んでいた時のことだ。
しかし、モデスト・マウスは特別だった。
10月1日、ミッションボールルームで行われたパフォーマンスでは、バンドは今もなお忘れがたい瞬間を引き出す力を示してくれた。
オープニングアクトはビルト・トゥ・スピルで、彼らの特有のメロディックでメランコリックな曲を披露した。
その後、モデスト・マウスが “3rd Planet” でセットを開始した。
フロントマンのアイザック・ブルックが力強いボーカルで歌い上げる様は、存在主義をテーマにしたセットリストの幕開けを飾った。
バンド名そのものがヴァージニア・ウルフの文から取られているのも納得である。
“Gravity Rides Everything”のオープニングコードが鳴り響く中、記憶が音楽と共にぐるぐると巡り、歌詞が心に響く。
「動きやあなたの言葉の中で、全てがちょうどいい具合に落ち着く。
果実が落ち、肉がしぼむ。
全てはちょうどいい具合に落ち着く。
死ぬ時には、沈むものと横たわるものがいるが、少なくともあなたが浮いていくのを見ることはない。」
このバンドは、人生のあらゆる瞬間を描写する高い歌詞の基準を持っている。
どの曲も、懐かしさを呼び起こし、同時に今この瞬間にいることを感じさせてくれる。
その歌詞の美しさだけでなく、ライブでのモデスト・マウスは独特の重い即興を提供し、深いカタルシスをもたらす。
“Dark Center of the Universe”の後、バンドは緊迫した即興演奏に突入し、ブルックはギターを歯でさえぎり、ジミ・ヘンドリックスを彷彿とさせた。
セットリストには「Wild Packs of Family Dogs」や「I Came as a Rat」などの人気曲が盛り込まれ、モデスト・マウスは全エネルギーを音楽に注ぎ込んだ。
観客はそれぞれの曲に合わせて歌い、会場は懐かしさにあふれていた。
カップルたちは互いに揺れ動き、友人たちは微笑みやハグを交わしていた。
笑いもあふれていた。
ブルックが唯一観客に話しかけたのは、彼が見たYouTube動画についてで、その中ではキムチにQチップを入れて、それを鼻に入れると鼻腔が楽になるという奇妙な方法が紹介されていた。
この奇妙な発言は、バンドのエトスを反映するものだった。
モデスト・マウスは、人生の逆説を影響力のある方法で強調してきた。
ミッションでのパフォーマンスは、その影響が今もなお響いていることを示していた。
画像の出所:westword