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著名な日本文学研究者ドナルド・キーンは、ハワイに深い繋がりを持っていました。

今年の6月、彼の養子であるセイキ・キーンは「私の父は戦争を嫌い、日本文学の研究に人生を捧げた。それをたどるために、オアフ島を歩いた」と語りました。

戦後、キーンは日本とアメリカを行き来しながら日本文学の研究を続けました。

2006年、彼は人形劇の三味線奏者であるセイキと出会い、以降、月に一度は美術館やコンサートに一緒に出かけるなど、彼らの関係は深まりました。

キーンは独身であり、セイキを養子にすることを決めたのは、彼を非常に信頼していたからです。

キーンは2012年3月に日本国籍を取得し、89歳の時に61歳のセイキを正式に養子として迎え入れました。

二人はキーンが2019年2月に亡くなるまでの約7年間、共に生活をしました。

パールハーバーでの出会い

ハワイのパールハーバー国立記念公園で、日本のツアーガイドは「アメリカ人がハワイを訪れると、ビーチに行く前にここに来る」と述べました。

「多文化の国、アメリカの象徴的な場所であり、国民の団結を確認することのできる場所です。」

しかし、10年前にセイキがキーンにパールハーバーを訪問するよう頼んだ際、彼は断りました。

訪問者は、日米の戦争を背景にした15分程度の短編映画を観ることが求められます。

映画は、当時の日本の状況を描き、パールハーバー攻撃作戦とその影響を強調し、アメリカにとっての正義の戦争として描写しています。

アメリカの訪問者たちは静かにそのスクリーンを見つめました。

USSアリゾナ・メモリアルは、攻撃により沈没したアリゾナ戦艦の上に位置し、その艦上で亡くなった1000人以上の人々を追悼しています。

セイキは壁に記された犠牲者の名前を見つめ、キーンの言葉を反復しました。「意味のある戦争など存在しない。」

戦後の交流

ホノルルの介護施設で、97歳のマージー・横山さんは、セイキと10年ぶりに握手を交わし、キーンの思い出を語りました。

横山さんは、日系アメリカ人のヘンリー・横山の未亡人であり、彼はアメリカ陸軍で言語兵士として活躍していました。

キーンとヘンリーは戦時中、ハワイで日本の軍事文書を翻訳する仕事をしていました。

マージーは、キーンの遺灰をハワイの海に散布することを提案しました。

戦後、キーンはコロンビア大学で教鞭をとり、日米間を行き来していました。

飛行機がハワイで給油する必要があったため、彼はよく医者になった横山さんの家に滞在しました。

キーンは、横山さんの子どもたちから「ダン叔父さん」と呼ばれ、一緒に美しいハナウマ湾でシュノーケリングを楽しんでいました。

平和への願い

国立太平洋戦没者墓地は、パンチボウルと呼ばれる火山のクレーターに位置しています。

ヘンリー・横山はそこに埋葬されています。

セイキは、キーンの遺灰をその海に散布しました。

キーンはセイキに「戦争は不幸なことだった。しかし、ある意味で、日本への理解と関心を深めさせた。お互いをもっと知ることで、戦争は回避できる」と話しました。

セイキは言いました。「父がパールハーバーを訪れることを避けた理由が分かる気がします。彼は戦争の暗い日々ではなく、戦後に築かれた日米の新しい平和の時代に焦点を当てたかったのでしょう。」

画像の出所:japannews