2008年1月、弁護士でありテレビタレントの橋本徹が、38歳の若さで大阪府知事に選出され、当時史上最年少の知事となりました。
2010年4月、橋本は、大阪市が東京に次ぐ日本の第二の大都市になることを主張する「大阪維新の会」を設立し、そのリーダーに就任しました。
2011年10月、橋本は知事の任期を途中で辞任し、大阪市の市長に就任しました。同時に、大阪維新の会のメンバーである松井一郎が知事に選出されました。
2012年9月には、「日本維新の会」が設立され、公式の英語名が日本再生党として発表されました。
2013年5月、橋本は、第二次世界大戦中に日本の帝国軍が軍の規律を維持するために「慰安婦」を必要としたと発言し、中国と韓国から激しい反発を受けました。
2014年9月には、日本維新の会が「維新の党」との合併を果たし、新たに「維新の党」を結成しました。
2015年5月、大阪を大都市にする提案についての住民投票が行われ、705,585票が反対、694,844票が賛成となり、10,741票の僅差で提案は否決されました。この結果を受けて、橋本は政治からの引退を表明しました。
2015年8月、橋本と松井は「維新の党」を辞任し、新たに「大阪維新の会」を結成しました。
同年11月に松井は大阪府知事に再選され、橋本の後継者である吉村洋文が大阪市長に選出されました。
2016年8月、全国的な支持を目指して、大阪維新の会は「日本維新の会」に改名され、同じ名前が再利用されました。英語では「Japan Innovation Party」として知られています。
2019年4月、次の住民投票を前にした選挙で、吉村が知事に就任し、松井が市長に就任しました。
2020年11月、2回目の住民投票が行われ、692,996票が反対、675,829票が賛成となり、17,167票の差で再び否決されました。この結果を受けて、松井は任期終了後に政治からの引退を表明しました。
2025年9月、日本維新の会は大阪を第二の首都として位置づける構想の概要を発表しました。これは、行政の冗長性を排除し、中央政府から税収を移転することを含む、いくつかの公約の一環です。
同年10月、維新の会は、国会における潜在的な連立を視野に入れ、自民党との政策調整に向けた協議を開始しました。
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