現在、日本が直面している政治の混乱は、1990年代初頭の状況を思い起こさせる。
当時、私が日本に到着したばかりの頃、与党であった自由民主党(LDP)が直面していた危機的状況から、野党が統一した七党構成の連立政権が誕生したのは1993年8月であった。
この連立政権は、遠左からリベラル保守派まで様々な政党が集まり、二人の首相が誕生したが、一年も続かなかった。
今日、永田町で活動している多くの顔は、当時からのものであり、その後の政治に大きな影響を与えている。
しかし、当時と現在の大きな違いは、1990年代初頭には国民が変化を求めていたのに対し、現在の国民は新たな連立政権への期待を持っていないことである。
有権者は、現在の混乱の後により大きな混乱が続くことを目の当たりにしてきたため、現行の野党による「方便の結婚」による連立政権には消極的である。
公の支持が薄れている自由民主党も、これまでの失策を深刻に受け止めなければならない。
自民党が現在のような状況に陥る要因となったのは、党の一部に起因する決定が多かった。
特に、現在の自民党総裁である高市早苗が選ばれるまで、党内の派閥による駆け引きが続いた。
彼女は、2024年の自民党総裁選では一次投票で首位に立ったが、過半数を取ることはできず、決選投票では派閥内の対立により伊藤信久が選ばれた。
当時の党総裁であり首相でもあった岸田文雄は、伊藤がアメリカのカマラ・ハリス副大統領と上手くやっていけると判断したが、これは大きな誤算だった。
結果として、伊藤は2024年10月に衆議院を解散し、その選挙では自民党が68議席を失うという大敗を喫した。
その後も伊藤は辞任せず、自民党内での支持を失っていく中、岸田は彼を支え続けた。
特に、元首相の麻生太郎が「辞任はありえない」と発言したことは、伊藤が首相の地位を失う決定的な瞬間であった。
一方、今は高市の支持が高まり、彼女の党首就任が期待されている。
高市は経験豊富な政策立案者であり、厳しい問題にも正面から向き合う姿勢で、現在の自民党の方向を正すことが求められている。
特に、中国との関係に腐敗してしまった自民党を立て直すべく、全力を尽くしている。
これまでの公明党との関係は、結果的に自民党の核心を成していた保守派の有権者を遠ざけてしまい、実際には票を失う原因となった。
幸運にも公明党のリーダーが連立を一方的に終了させる決定を下したことは、状況が転換する兆しであった。
私自身、高市に大きな期待を寄せており、彼女が率いる日本の将来に明るい展望を持っている。
このままでは、第三次の無原則な便宜的連立政権が誕生する余地はない。
日本と世界が直面している課題は重大であり、国家を前進させるためには、高市のような確信を持ったリーダーシップが必要だと考えられる。
彼女の名前にもあるように、ワンランク上の政策を期待したい。
画像の出所:japan-forward