高市早苗は、重金属とバイクの愛好家として、親を困らせた若者時代を経て、64歳で日本初の女性首相になる可能性を秘めている。
彼女の政治スタンスは、日本社会で賛否が分かれる存在となっている。
“日本の鉄の女”と称される彼女は、国内問題に立ち向かう力強い意志を持ち、中国に対しても立ち向かう姿勢を見せていると支持者が評価する一方で、彼女を批判する声も存在する。
彼女の成功は、女性が日本の政治で成功するには、男性陣の最悪の本能を取り込み、帝位は男性のみ、結婚後の共通の姓の強制など、男性中心の政策を支持しなければならないと嘆く人々の声からも聞こえている。
高市の首相就任は、日本の現代史において新たなマイルストーンを示すものであるが、日本の政治においては、表舞台に立つ人物に過度に期待を寄せるべきではない。
実際の政治状況は、楽器を演奏するベーシストが楽曲を書き、スポットライトを避けるために一時的なボーカリストを雇うバンドのように、複雑な背景を持っている。
自民党(LDP)の内部で、リーダーシップを担う人物を決定するのは主に影のある上級者たちであり、彼女の運命は経済と移民という二つの問題にかかっている。
まず、経済について見ると、日本の人々、特に若者たちは、高税、低賃金成長、インフレの上昇、仕事の不安定さに対して怒りを抱いている。
過去30年にわたり、日本の政府はこれらの問題に取り組もうとしたがほとんど成功していない。
現在、国の債務はGDPの235%に達しており、これは非常に深刻な状況である。
日本の経済問題が解決しにくい一因は、国の人口が急速に減少していることであり、毎年約100万人が減少している。
日本の人口の約3分の1は65歳以上で、彼らは自分たちの老後が適切に面倒を見てもらえることを期待しているが、それにはお金と介護者が必要であり、いずれも不足が生じている。
介護職は長年にわたり危機的な状況にあり、1つの介護職に対して応募者は今や4人分の求人に対して1人しかいない。
2010年代には、”ケアロボット”が高齢者や病気の人々のニーズを満たすために使用され、若者たちが経済の生産性を向上させることが期待されていた。
しかし、人間のケアを担当するためのロボットは、精密な技術と高度なAIを要求されるため、広範な配備は2030年代にまで先延ばしされるとの予測がされている。
介護職を支えられない場合、ベトナムやフィリピンからの労働者に依存する選択肢もある。
しかし、移民の受け入れは政治的には難しい。
日本の外国在住者人口は、過去3年で平均約10%ずつ増加している。
労働市場が必要とする中で、外国人を受け入れる総人口は今後3%から10%に拡大する必要があると予測されている。
しかし、日本社会の世論は冷淡な感情を抱いている。
日本には長い孤立主義の歴史があり、近代初期に部分的に国を閉ざしたことから始まり、20世紀の多くに及ぶ国民及び民族の例外主義まで広がっている。
それにより、日本における”外国人”という概念は、白人西洋人がヒエラルキーの上に位置付けられる一方で、他の民族には強い抵抗感が見られる。
外国人移民に対する反発は、民族的な要因だけでなく、日本の生活様式に基づく尊重と抑制が、新たな移住者によって脅かされることへの恐れにも起因している。
日本人が礼儀正しいが、根本的に外国人に対する反感を抱いているとの批判は、差別的な思考を反映していると同時に、多様な偏見と文化的な不安に影響されている。
日本国内の政治家は、この問題にあまり触れず、移民に対する公の懸念は経済的な必要性に訴える形で対応し、ビザの取り決めを密かに緩和することで労働市場を支援しようとしてきた。
しかし、このアプローチは最近になって裏目に出てきた。
ポピュリストナショナリズムの党派である山青党が、移民に関する情報を隠蔽しているとの主張に基づき支持を得るようになった。
この党派は、今夏の日本上院選挙において「日本第一」のキャンペーンを展開し、「静かな侵略」が進行していると訴えた。
特に若年層の男性の間で大きな支持を得た。
地方レベルでは、緊張が高まっている。
たとえば、南部埼玉県で少数のクルド人が住んでいる地域では、排外的な反発が街やオンラインで発生している。
一方、京都では、観光業の発展に伴って多くの外国人労働者が集まっているが、彼らが住む共同住宅や、古い住宅がAirbnbに改築されることによって、かつて誇り高かった都市がギャング化する危険性があるという批判もある。
一方で、SNSは外国人に対する怒りを煽っており、外国観光客が駅員に怒っている映像や、ゴミ収集車の後ろに乗っている映像、神社の赤い鳥居で懸垂をしている様子が日本のテレビに取り上げられることさえある。
高市の故郷である奈良では、観光客が野生の鹿を攻撃しているとの報道があったが、当局はこれを否定せざるを得ない状況に至っている。
さらに先月、四つの日本の自治体と四つのアフリカ諸国間での文化交流プログラムが、誤った情報に基づいて日本への新たな移民ルートになるとの噂が拡がり、キャンセルされた。
“社会媒体は外国人への怒りを煽っている。”
高市が党内でリーダーシップレースで成功したのは、山青党の台頭を抑制できるほどのナショナリズムの視点があると期待されている。
しかし、彼女が移民に関して右に進むことで、公共の議論は必要としているものが失われてしまい、政策の表層的な部分では国の問題に対する現実的なアプローチが欠けている恐れがある。
日本の将来を形作る重要な問いかけは、”日本人とは何か?”であり、これは血の問題なのか、それとも “日本人”が “イギリス人”や “フランス人”のように市民的なアイデンティティとして機能する可能性があるのかという点に集約される。
安倍晋三元首相は、長い政権の中で”市民的ナショナリズム”の概念を訴え、日本人であることの定義が価値観、権利、行動基準に基づくものであるべきだと話していた。
しかし、未だこのビジョンは日本の政治的議論において広く受け入れられていない。
日本の移民が安定した権利を持ち、歓迎を感じるためには、高市または近い将来の後継者は、心配して不安を抱える一般市民に、未来に向けた現実的な選択肢を提示する必要がある。
技術だけでは救いにならず、日本の人口減少が逆転できないのであれば、最善の策は適切に統合された外国人の存在と、「日本人」という概念の拡大した理解かもしれない。
高市は、地方自治体が先駆けて行っている、移民に日本語を学ばせ、権利を理解させ、地元と交流させるための取り組みから学ぶことが求められる。
期待を込めて、将来的に広く「日本人」として認められる共同体が形成され、共通のアイデンティティに安堵感を持ちながら、観光客の不適切な行動を叱責する日が訪れることを願う。
画像の出所:unherd